Research
植物は、温度・光・水・栄養などが複雑に変動する自然環境の中で生き延びるための仕組み=「環境レジリエンス」を進化させてきました。私たちはその中でも、とくに窒素環境の変動に適応する「窒素環境レジリエンス」に注目し、植物が変動する窒素条件下でどのように吸収と利用を最適化しているのか、その分子基盤の解明を進めています。
窒素は植物の成長や生産性を支える最も重要な栄養素の一つであり、現代農業では窒素肥料への依存度が高くなっています。しかし、施肥された窒素の多くが作物に利用されずに環境中へ流出し、温室効果ガスの発生や水質汚濁など深刻な環境問題を引き起こしています。こうした課題の解決には、植物が本来備える窒素利用のしくみを科学的に理解し、それを農業に応用することが不可欠です。
本研究グループでは、この窒素環境レジリエンスを支える分子機構を明らかにし、持続可能な農業の実現に貢献する知識基盤の構築を目指しています。
主な研究テーマ
1. 植物の窒素不足および供給変動に対する応答機構
植物は、低窒素であったり、窒素供給が時空間的に不均一であったりする自然環境で生存するため、窒素の獲得や利用を柔軟に調節する能力を備えている。本研究では、窒素の感知・情報伝達という観点から、窒素栄養状態に応じた遺伝子発現制御や生理応答の調節分子機構の解明に取り組んでいる。
1-1. 低濃度の窒素栄養を効率的に吸収する仕組み
畑などの好気的な土壌では、硝酸イオンが植物にとって主要な窒素源となります。特に低窒素環境下では、根の細胞膜上に存在する硝酸イオン輸送体が、その吸収を担っています。植物は複数の輸送体遺伝子を持っており、私たちは、それらをどのように使い分け、制御することで効率的な吸収を実現しているのか、その仕組みの解明に取り組んでいます。
高親和性硝酸イオン輸送体に関わるNRT2.1、NRT2.4、NRT2.5などの遺伝子は、それぞれが時空間的に相補的に発現することで、低濃度硝酸イオンの効率的な吸収を支えていることを明らかにしました(Kiba et al. 2012; Lezhneva et al. 2014; Kiba and Krapp 2016; 大久保ら 2022)。

1-2. 栄養環境に合わせて窒素応答を最適化する仕組み
自然環境における窒素は、しばしば低濃度であったり、供給が時空間的に不均一であったりします。こうした環境下で植物は、生存のために窒素の獲得と利用を柔軟に調節し、最適化しています。この応答機構は大きく2つに分類でき、ひとつは窒素が不足している状況での効率的な窒素利用を促す「窒素欠乏応答」、もうひとつは硝酸イオンの供給に迅速に適応する「硝酸応答」です。しかし、実際の環境では窒素が常に欠乏か供給かの二者択一であるわけではなく、その状態は連続的に変動しています。そのため植物は、窒素環境に応じてこれら2つの応答を統合的に制御することで、環境に適した窒素応答を実現しています。
私たちは、こうした窒素欠乏応答と硝酸応答の統合的な制御機構の解明に取り組んでおり、これまでにその鍵となる転写因子群としてNIGT1.1〜1.4(NIGT1s)を同定しました。NIGT1sはGARP型の転写抑制因子であり、硝酸供給に応じてNLP転写因子により誘導されます。誘導されたNIGT1sは、硝酸応答のフィードバック抑制と同時に窒素欠乏応答の抑制も担い、植物が変動する窒素環境に適切に応答できるよう調節しています(Kiba et al. 2018; Maeda et al. 2018)
1-3. 窒素栄養状態に応じた個体成長バランスの最適化の仕組み
植物は、窒素栄養環境に応じて地上部と根の成長を柔軟に制御することで、個体としてのバランスを維持しています。このような成長の最適化には、器官間での環境情報の共有が不可欠です。植物は神経系や循環器系をもたない代わりに、道管や師管を介した物質輸送を通じて長距離の情報伝達を行っており、植物ホルモンはその中心的な役割を担います。なかでもサイトカイニンは、根の栄養状態を反映しつつ、地上部と根の成長を窒素環境に応じて調節する長距離シグナルとして機能しています。
私たちは、こうした器官間の情報伝達の仕組みの解明に取り組んでおり、これまでに、根で合成されたサイトカイニンの道管を介した地上部への輸送を担う因子として、ABC輸送体ABCG14を同定しました。ABCG14は根の維管束で発現し、サイトカイニンの道管への積み込みを担います。ABCG14を欠損した変異体では、道管液中のサイトカイニン濃度が低下し、地上部の成長が著しく抑制されることから、サイトカイニンによる根から地上部への情報伝達が、個体の成長バランス制御において重要な役割を果たしていることがわかっています(Ko et al. 2014; 木羽ら. 2016; Kiba et al. 2019)。
さらに、サイトカイニンはアデニン骨格に結合する側鎖の構造によって機能が異なることが知られています。なかでも、trans-zeatin型の側鎖を持つサイトカイニンが根から地上部へと輸送され、地上部の成長を促進する長距離シグナルとして機能することを、シロイヌナズナおよびイネを用いた研究により明らかにしました(Kiba et al. 2013; Kiba et al, 2023)。


2. 窒素応答と各種ストレス応答の統御機構
自然環境では、窒素栄養環境に加え、温度や光、他の栄養素など複数の環境要因が絶えず変動しています。植物は、成長や生存を最適化するために、これら複合的な環境要因に対する応答を総合的に調整しています。本研究では、窒素応答と各種環境ストレス応答の統御機構について、分子生物学的および生理学的解析を通じて明らかにすることを目指しています。
2-1. 窒素応答とリン欠乏応答のクロストーク
リンは、窒素と並ぶ三大栄養素の一つであり、植物の成長や生産性に欠かせません。しかし、自然環境においては土壌中のリンは利用可能な形での供給が限られており、植物は常にリン欠乏のリスクにさらされています。さらに、窒素とリンの両方の栄養状態が複雑かつ連続的に変動することが多く、植物はそれぞれの状態に応じて柔軟に適応しています。
植物は、窒素が充足しているときにはリン栄養不足に対する応答(リン欠乏応答)を活性化させる一方、窒素が不足しているときにはその応答が抑制されることが知られています。さらに、リン栄養が不足している場合には、硝酸イオンをはじめとする窒素栄養の吸収が抑制されることも報告されています。私たちは、このような応答間のクロストークにおいて、GARP型転写抑制因子 NIGT1.1〜1.4(NIGT1s)がその調節を担う重要な因子であることを明らかにしました。
NIGT1s は、窒素が充足しているときに発現し、窒素応答を抑制するとともに、リン欠乏応答を高める働きを持ちます。逆に、窒素が不足している条件では NIGT1s の発現は低く、リン欠乏応答も活性化されないことから、NIGT1s は窒素栄養状態に応じてリン欠乏応答を調節していることが示されました。また、リン欠乏応答を司る転写因子 PHR1 が NIGT1s の発現を直接促進することが示されており、これによりリン欠乏時に窒素応答が抑制される分子機構も明らかになりました。
このように、NIGT1s は窒素とリンの栄養状態に応じて両者の欠乏応答を連動させ、植物が応答のバランスを巧みに調節する仕組みの要として機能していることがわかりました(Kiba et al. 2018; Maeda et al. 2018; Ueda et al. 2020)。

2-2. 窒素応答と他の環境ストレス応答のクロストーク
他の栄養や環境要因とのクロストークの仕組みの研究も鋭意進めています。
